2006年11月に出版された「ワーキングプア~いくら働いても報われない時代が来る」を久しぶりに見てみました。(この記事は2017年に書いたものです。)
あれからまる10年がたっています。当時、テレビで「ワーキングプア」という言葉が頻繁に出ていました。ワーキングプアとは働く貧困層という意味で年収200万以下、月~金のフルタイムで働いて年収200万以下の層を指す言葉。
たしか2006年の夏頃に私は取材を受けたと記憶しています。本にも32歳と書かれているのでちょうど10年前の私が掲載されています。ちょっとそういう話になった時に「知らなかったよ、記事にしてよ」って読者さんに言われたので改めて探してみたんですよ。
押入れの片隅に10年前の私を見つけました。
今日はそういうお話です。
私のインタビュー記事は、10ページにすぎません。
第四章:非正規として働く若者たち。の項に掲載されていました。
ドキュメント「ワーキングプア」⑦
「32歳、アルバイト。『10年後の未来は見えない』」
タイトルの『10年後の未来は見えない』だけで私やんって分かりますよね。実際にこの言葉をインタビュー中に使ったし、今までの人生の中でよく使っているしwこのタイトルだけでもああ。。。私やなってなつかしく思う。いや懐かしいって感覚じゃないな。10年前から変わらず私はそこにいた。
「僕には欲望がない」
格差社会がもっと広がって欲しいと思ってますね。自分はこれ以上、上にあがることができないから。自分と同じ位置に大勢の人が落ちてくればいいな、と。
そういう世の中を望んでいる。たとえが悪いですけど。江戸時代の士農工商制度。僕はずっと社会の最下層にいるんです。格差社会が広がっていけば、大部分を占めた農民が自分たちと同じ位置まで落ちてきてくれるわけだから。結果、僕というダメな存在が目立たなくなる。そうなってくれたらいいなと思っているんです。」
大阪は梅田の繁華街。お好み焼きを食べ終わった頃、Sさんはそう答えてくれた。質問は格差が広がる現状について「ワーキングプア」と呼ばれる層についてどう思うか?というものだった。
人の思考ってなかなか変わらないものなんですね。私は未だに同じような考えをもっていますし未だに同じ話をしています。でも10年たってもそんなに格差はひろがらなかったよ。もっと凄い格差を想像してたのにな。10%の富裕層、30%の中間層、60%の貧困層っていうのが私の理想な世の中です。士農工商の話は、江戸時代じゃなしに明治時代の自作農が転落して小作人が大量に出たってイメージね。
「欲望がないんですよ。欲望がないために活力がわかない。だからダメなんでしょうね。それは自分自身よく分かっているんです。でも、無気力でダメな人間もいるんですよ。一生懸命働いて働いて、高収入を望んでいるのに裕福になれない。それが『ワーキングプア』だとすると、自分はどうなのか・・・。働くのは嫌だから最低限度の金しかいらないという考えなので。今はカツカツにすれば月8万円ぐらいでいけるんです。だから、12万も稼げれば十分に暮らせる。時給換算にすれば800円ぐらいの仕事を1日7時間、月~金のシフトで働けばいい。能力があるんならもっと上を目指してもいいと思いますけど、無い人間は、無いなりに割り切った。しかたないな、と」
変わっていませんよね。
この時期にはすでにサイレントテロの洗礼を受けていたからね。消費しない生活を目指すってのはこの時期には既定路線だったんよな。無能でも生きれる方法を10年以上前から模索してたわけだから、当然といえば当然だけど。
こういうのってファッションじゃないんよ。流行ってるからとかじゃないんよ。生きる為にこの道しかなかったんよ。この文章のあいだにしょうもない経歴の話なんかいろいろしつつ・・・・。
生涯年収が6000万円にも届かない。
「あるとき、雑誌の記事かなにかでサラリーマンの生涯年収が約2億円、フリーターが6,000万というのを見たんですよ。それで、自分はどこに入るんやろうと思って計算したことがあるんです。データをまとめたりするのは好きなんで。そうしたら、20歳ぐらいから働き始めて12年。特にこの7年は一度も年収が200万を超えていない。全部足しても1500万円弱ですよ。果たしてこれで6000万に届くんかい?と。サラリーマンやったら年功序列で給料も上がっていくんやろうけど。俺は6000万円にすら届かない気がするなーと」
きつい未来予想図のはずが、淡々と笑い飛ばすようなSさんの話し方からは暗さを通り抜けた諦観のようなものを感じた。
10年前の私に教えてあげたい。
生涯年収6000万はいかないかもしれんけど、でも10年後には生涯年収4000万は超えてるよ。しかしこのインタビューを答えている時はライブドアショック後なので貯金はすっからかんの時なんよな。それでいてまだ飲食業も入ったばかりの夏頃、これから地獄をみることになるなんてこの時は信じられないんだろうな。
今から3年間血へどを吐きながら労働によって貯めた金が今度はFXで再度すっからかんになるんよ。そして職場でパワハラ受けてばっくれることになる。
「未来?見えないっすね。5年後まではいけるなぁというのはあるけど。僕、27歳のときも同じようなことを言ってましたもん。30歳までは生きられる確信はあるけど・・・その先はどうなるかわからんって。でも、実際にはもうそこから5年が過ぎて、32歳になっている。これを乗り切ったと考えれば、ここからの5年はまだ見えるけど、10年後はやっぱり読めない。でも、まあ、なるようになれ、と。いや。やばいっすよ。ホント。やばいということは感じているけど、あんまり考えたくもない。たぶん、ここで考え込む人は鬱になっていくんやろうね。そういう意味では僕、楽観的な人間でよかったですよ。」
人って学習しない生き物なんだなってよく分かるよね。いまだに全くおんなじ思考だわ。直近の5年しか見れない。10年先は見えない。25歳のときは30歳以降は生きていけないと思っていたし、30歳の時は35歳以降は生きていけないと思っていた。
同じく35歳の時は40歳以降は生きていけないと思ってた。生きていけないのでその年齢になれば死のうと思ってた。まあ、むかしから思考回路は変わらないなっと。40歳を超えたらもう正直どうでもいいと思っているのでそういうことは考えることはなくなったけど。それでも健康年齢的に2030年まででいいかなとは思ってる。
楽観的ってのはやっぱそうなんだなと思う。ネガティブだけども最終的には楽観的なんよね。なんかあっても、まあ、しゃあないやんって最後にはなる。ええんちゃうん。てきとーで。あかんかったらあかんでええやん。みたいなさ。大阪人やからかな?
10年前のインタビュー記事を改めて読んでみた感想は、変わってないなーってことだね。人って変わらない。変わった事といったらワーキングプアから無職プアになった事くらいですかね。