-10年前に住んでいた部屋-
震災から10年
昨日、配信で「震災の時に何をしていましたか?」と聞かれました。10年前の今日、私は春の18切符を使って山口県の萩に旅行に行ってました。岩国→萩→下関みたいな感じやったんやけど。。。当時は今みたいにツイッターで情報や映像が流れてくるわけでもなく、というかガラケーやったしね。(スマホ持ったのは2015年からです。)
旅行中に何の情報も入ってこず当日の午後七時くらいかな?下関で乗り換えの時にダイヤが乱れていることを知ったんよね。特に大分までの線が完全に止まっていましたので太平洋岸で地震が起こったのかな?って感じやったんですよね。まさか東北なんて思わなかったです。で。。。特にわけもわからずに旅行が終わって家に着いてみたら大惨事を映像でみたって感じかな。
自分をふりかえってみる
あれから10年。飲食店で働いている時やったよなと思って自分の2011年のブログを読み漁っていると。2011年3月に震災があって4月に新しい店長が赴任してきてよりしんどくなって6月に店舗移動になってより地獄になって7月に心療内科に診断書をもらって退職願をそえて提出して疾走。3ヶ月間の休職をへて12月に退職。
震災とは全く関係はないけど私的には2011年は激動の1年やったと思います。
日記読み返してみるとほんとつらかったんだなって思う。ずっと辞めたい。事故りたい。死にたい。逃げたいってことばっかり毎日のように書いていたからさ。あそこが私にとっても分岐点やったのかもと。。。37歳という年齢で正社員をやめてぷっつりと糸が切れてしまったんよね。鬱状態でしたしもう死んでもいいと思っていたしさ。。。。そう考えるとあれから10年たってそういうプレッシャーが今はない毎日なんだからよかったように思う。今は天国だよ。なんもしてないけどね。
2011年 飲食店退職
2012年 介護職
2013年 介護職退職
2014年 期間工
2015年 期間工契約更新せず
2016年 無職
2017年 親の介護
2018年 親の介護
2019年 親の介護
2020年 親の介護
2021年 親の介護
みんなそれぞれの10年があると思うけど私の37歳〜47歳までの10年ってどうだろ?よくもないけど。。。よく頑張ったと思うよ。まだ死なずに生きれているんだからさ。