昨晩、「ある、ひきこもりの死 扉の向こうの家族」のドキュメンタリーの感想を書きました。あれを更新した後にもう一度考えてみたんだけど。。。やっぱ可哀想ではないよな。私自身が冷たい人間なのかもしれんけど。。。よく老後破産とか、高齢者の貧困とか孤独死、引きこもり死。。。を問題死する人いるけど。。。可哀想ではない。どっちかというと自然死みたいな感覚でみたほうがいいんじゃないかなって思うんだよな。
団塊世代、団塊ジュニア世代って人口分布があってさ。
すべての人を救わなければいけない。すべての人を生かさなければいけない。そう思うならいいんだけど。。。そんなの無理な話でさ。可哀想、可哀想って言っててもしかたがないと思うんだよな。
団塊ジュニア世代も就職氷河期で失われた20年を生きてきたわけやけど。。。もう手遅れなんだよな。何の対策もたてずに20年たった今、いまさらなにをしようとも遅いねんって。殺人の罪で刑務所に入れられて20年たってから免罪やからって出されて謝られても。。。もうどうしようもないのと一緒やと思うんよね。今から就職支援しますとか。。。やってます感だけだすのはやめてほしいよな。
生きることに執着ある人は自死なんて選択しないから可哀想なんて思うことないんだよ。無責任極まりない意見だと思うけど、私を含めて親世代、自分世代なんて切り捨てていいと思うよ。若い世代の方がもっと可哀想だと思うからさ。今の世の中を生きていく方が大変。私には子供がいないので下の世代のことは知識として全くないんやけど。。。おそらく自分らが見てきた世界とは全然違うんやと思うのでね。親世代、自分世代が一番人口が多いからどうしてもこっちがクローズアップされるわけだけど。。。
俺の屍を越えてゆけだよ。
越えていってほしい。親世代の人口が減りだしたら私ら世代はゴミ扱いされるようになるとは思うけど。。。それでいいよ。コロナ禍になって特に思うようになった。若い世代に負担がいってるからね。まあ、落ちこぼれの私に言われたくないかもしれんけどさ。
中年の戯言、説教、泣き言なんて若い子らはまじで聞かないほうがいいよ。まあ、このブログなんて若い子が見ているわけではないけどさ。中年の泣き言ほど気持ちの悪いものはないもんな。私も毎日のようにやってるけど。。。他人のを見ると。。。そう思っちゃうw
はやく安楽死制度出来ないかな。