斎藤環さんの中高年ひきこもり(2020年1月出版)を読みました。なんだろな。私は当事者でしたし、ヒキコモリって僕らの世代なんですよね。それが今、中高年ひきこもりが深刻な実態になって再び出てきているわけだけど。。。中高年ひきこもり61万人!なんかタイムリーすぎてね。
私は2000年にヒキコモってたんですよね。ネオ麦茶のバスジャック事件がちょうど2000年に起きた事件でそこからひきこもりが社会問題としてクローズアップされ時系列的に言うとその後に、斎藤環さんの「社会的ひきこもり 終わらない思春期(1998年)」が売れたということらしいです。
私は2000年にヒキコモッてたあたりでインターネットの世界では、ひきこもり、メンタルヘルス系のサイトがネット上にかなり存在していて私もそこが居場所で入り浸っていたんですよね。そこで知り合った人から斎藤環という名前は聞いていたし知識としては入ってはいたけど。。。実際に本は読んだことありませんでした。ひきこもりの子を持っている親はこの手の本を手にとるだろうけど。。。ひきこもっている子供は、金ないし手にとらんのよね。当時は図書館で借りるという発想もなかったですしね。
今回は引用紹介オンパレードとなります。刺さる文章が多いんですよね。
8050問題。親の介護問題を考える
同居している親に介護が必要になったらどうするか?ひきこもりの人は外部の人間が家に入ってくることを嫌うのでヘルパーに頼ることが出来ずに自分で面倒みることになります。
しかし多くはひきこもり当事者と家族の関係はあまり良好ではありません。親に日頃から「いつになったら働くのか?」「いい加減に自立しなさい。」などときつい言葉で責めていることが多いからです。
そういう親が介護される立場になり、わがままな要求をするようになると、ひきこもりの子はかつて自分がかけられた叱責の言葉などを思い出して怒りにかられればまともな介護はしないかもしれません。それどころか弱った親を虐待してしまうかもしれません。
これから起こりだすであろうことですね。8050問題。たしかにこうなっていくだろうし想定しておかないといけないですよね。
この本は、自分とひきこもり史が理解出来てすごくいいと思います。ヒキコモッた経験がない人にはどうだろうな?理解出来ないかもしれんけど。。。
下記に引用した文章がまた凄いんです。
ひきこもり当事者のほぼ全員が自分が嫌い。
自らの人生に、価値や意味を見いだせないからです。自分が生きる意味をなかなか感じられない彼らは、しばしば「生きていてもしかたがない」「死にたい」「親が死んだら自分も死ぬ」などと口にします。しかし幸いなことに彼らが自殺既遂に至る可能性は高くはありません。これはおそらく、彼らの自己愛が健康だからではないか。ただ、彼らの自己愛は「プライドは高いが自信がない」といういびつさをもっています。この時の彼らのプライドは、理想とかけ離れてしまった自分自身を批判することによって、かろうじて担保されます。このような自己批判の形をとった自己愛を「自傷的自己愛」と呼びます。
おそらく自傷的自己愛がひきこもりの人の苦しみの中心にあります。この感情は外界に投影されれば被害妄想的になるし、長期化すればうつ状態をもたらすおそれがあります。そればかりか万時において悲観的な考えをもたらしあらゆる行動への意欲を奪い尽くします。
また親に対しては恨みと怒り、またそうした思いをもって自分への自責、という両極端な感情を抱かせます。こうした状況が長期化すると意欲はおろか、欲望そのものの水位が下がってしまいます。ひきこもり当事者には、終日無為に過ごす者が少なくありません。理由の一つは彼らが「楽しむこと」への罪悪感を抱いているからでさらに言えば、長期に渡り「やりたいことがわからない」という状況に留まっているためでもあります。
まんまですよね。
私がひきこもり明けの2001年からweb日記を書き出して 今年で19年目になるわけだけど。。。私ってこのまんまですよね。ひきこもりが続いている?一度ひきこもった人間はその性質を拭うことが出来ない?もう一回、復唱していきます。
自らの人生に、価値や意味を見いだせないからです。自分が生きる意味をなかなか感じられない彼らは、しばしば「生きていてもしかたがない」「死にたい」「親が死んだら自分も死ぬ」などと口にします。
はい。していました。
しかし幸いなことに彼らが自殺既遂に至る可能性は高くはありません。これはおそらく、彼らの自己愛が健康だからではないか。ただ、彼らの自己愛は「プライドは高いが自信がない」といういびつさをもっています。
はい。プライドは高いが自信がない。そのとおりかもしれないです。
この時の彼らのプライドは、理想とかけ離れてしまった自分自身を批判することによって、かろうじて担保されます。このような自己批判の形をとった自己愛を「自傷的自己愛」と呼びます。
自傷的自己愛。。。。
おそらく自傷的自己愛がひきこもりの人の苦しみの中心にあります。この感情は外界に投影されれば被害妄想的になるし、長期化すればうつ状態をもたらすおそれがあります。そればかりか万時において悲観的な考えをもたらしあらゆる行動への意欲を奪い尽くします。
被害妄想的。。。うつ状態。。。悲観的な考えをもち行動への意欲がなくなる。
また親に対しては恨みと怒り、またそうした思いをもって自分への自責、という両極端な感情を抱かせます。こうした状況が長期化すると意欲はおろか、欲望そのものの水位が下がってしまいます。ひきこもり当事者には、終日無為に過ごす者が少なくありません。理由の一つは彼らが「楽しむこと」への罪悪感を抱いているからでさらに言えば、長期に渡り「やりたいことがわからない」という状況に留まっているためでもあります。
欲望がない。終日無為に過ごす。。。よくあります。
やりたいことがわからない。たしかに。。。
ええ?私はこの19年間ずっとひきこもりの性質のまま生きてきたわけか。。。
自分という人間を言い表しているというかヒキコモリから抜け出して19年後に、あ。。。。そういうことかって腑に落ちたといいますかね。だからといって今後、理解したからといってこの状況から抜け出せるとは全く思わないんだけどさ。一度、ヒキコモリの性質になってしまったら死ぬまで逃れられないって感じだと理解はしました。
他の章の内容
4章、5章などは子供がヒキコモッた場合の対策や対処の仕方みたいな感じなので、私には関係ないのでざーっと流したのみ。 あとひきこもりとは、日本だけの現象ではなく、家族主義的な国、日本、韓国、イタリアなどで多くて、個人主義の国であるアメリカやイギリスでは若年層のホームレスが多いらしいです。経済的に親が支える国か、支えずに社会にほりだされてホームレス化するかの違いらしいです。なので日本も経済的に厳しい家庭が増加してきているのでひきこもりが減ってホームレスが今後は増えていくんやろうなーみたいなことらしいです。
この本をみなさんが読んでどう感じるかは分かりませんが、ヒキコモリ経験のある人は、何かしら感じることはあると思いますのでぜひ読んでほしいなって思いました。