セミリタイア失敗 40代独身無職の末路

働くのが嫌で41歳(2015年)の時に貯金680万で無謀な貧乏リタイア(9年目)をしました。貯金切り崩し中でなくなれば消えます。

だから、居場所が欲しかった。〜バンコク、コールセンターで働く日本人〜を読みました。

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前作の「日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」とはこの本は全く違う内容になっています。近いようにみえるんだけど私は全然違うものだと思いました。著者の水谷竹秀さんも1975年生まれなので現在は43歳で私と同世代になります。

 

前作は私達より上の世代がフィリピンに女を追いかけて散財して、または金を貢いで、または騙されて金をむしりとられて困窮邦人となった人達が出てきて。。。読んでいてもクズのオンパレードでこいつらまじで頭おかしいでしょって思うような人ばかりでした。

 

でも今作は。。。全5章からなるんだけどね。出てくる人達は私より少し下の世代で、2012年くらいにコールセンターとして海外に渡った人達。。。20代後半から30代前半で。。。現在はその年齢からプラス5歳、30代前半から30後半になった人達となっています。まあ、私らの世代のコールセンターもいるんだろうけどもっと悲壮感が漂っているのか取材出来ずにただ紙面に出ていないだけかもしれませんが。。。

 

この本の中では何の能力もなくコールセンターでしか働けないから今、バンコクという場所にいる。周りのタイの駐在員には蔑まれ、劣等感をもっている人達ばかりで。。。将来どうするんだ?というような取り上げ方をされているんですよね。同じようにコールセンターで働いていた20代の子には。。。

 

「四十代でうだつのあがらない人生を送っている人がいるんだなって、タイへ来てすごく勉強になりました。言い方が悪いですけど、そういう人達を20代で見られたのはよかったです。彼らは酒を飲んで女の子としゃべって、現実逃避しているだけなんじゃないかと。未来についての話もあまり出ないですよね。日本だと会社で働いていたら40代の人はもう部長クラスですよね?」

 

こんなことを言われていたり。。。

 

社会に対する失望感などがないまぜになっているように思えてしかたがない。おそらく彼らは、海外にいる方が自分の存在意義を感じられるのだ。海外は承認欲求を満たせる「居場所」、あるいは「心の拠り所」なのではないだろうか、ひとたび日本を飛び出せば「いいね!」の数が増えていく。その居場所として、海外という選択しが浮かび上がっただけではないだろうか。

 

と哀れ身の対象として言われたり。。。

 

でもさ。私からしたらそうかな?って思ったりするんだけどな。その正しいレールというものがあってそれと比較しすぎのような気がしてならないんよ。40代の人は部長クラスですよねとかその典型で。。。日本にいても部長クラスになってない40代なんていっぱいおるわけで。。。未婚で子供いない40代もいっぱいおるわけよ。たしかに現地の駐在員と比べたらそうかもしれんし、それは日本だって正社員と非正規を比べているようなもんでさ。わざわざ比較する必要があるのかなって思ったりする。

 

2012年くらいから中国やタイで海外コールセンターって求人はあったのは知っているしテレビでも取り上げられたこともあった。海外に飛び出した人って私的には何もしなかった人間よりかは凄いと思うんだよな。居場所が欲しかったってセリフを行ったとたんに可哀想っていう対象になるのか?それが現実逃避というレッテルを貼られなきゃいけないものなのか?

 

 ・ω・

私だってネットに居場所を求めているし誰しも居場所を求めるもんじゃないの? それを可哀想な対象にするってのは違うんじゃないか?居場所ってさ。会社や家族だけしか作ってはいけないんか?違うでしょ。それで学校で疲れて会社で疲れて家族で疲れてそういう問題が事件となっていっぱい出てきているわけやん。自殺だってそういう組織が原因でおこってたりするわけやろ。

 

それ以外の居場所を求めてもええやん。

 

何も悪いことではない。

 

そういうのって勝者のメンタリティだと思うんよね。それで強く生きれる人もいる。でもそんな人ばっかりではないんよ。逃げ場までふさいで追い詰めることはないよな。というような感想をもちました。ほんと正しい道を進んだ人しか許されない。ハズレてしまうとバカ呼ばわりされる。最近は、この本だけじゃないけどそういう傾向が強いよね。

 

あとこの本には前のフィリピンの本と違って男性、女性、性同一性障害の人といろんな人の話が掲載されています。